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■第21話:車を購入!
 当時私は、ガソリンスタンドのバイトをしていた。芋生君の紹介で、彼も同じスタンドでバイトをしていたのである。24時間営業で、夜9時に社員が帰ってしまうので、翌日の朝9時までアルバイト店員が営業を任されるのだ。12時間ある訳だが、夜中の3時を境にして、前半と後半に分ける事もあった。バイト店員はいつもひとりで店番をする事になっているので、さすがに12時間はキツイ、という訳だ。
スタンドのバイト仲間には車やバイクの好きな人間が沢山居て、私もその影響を受けて車やバイクが好きになったのである。自動二輪の免許を取ったのもこの頃だ。
その後私はこのバイトを続け、結局5年間スタンドの店員をやっていた。夜中も働いている訳だから、完全に昼と夜が逆転した生活である。昼間何も用事がなければまだ良いのだが、当然の事ながら何だかんだと用事がある。バンドの練習もある。朝9時まで仕事をして、家に帰って一休みすると、今度はバンドの練習が午後1時からある。夕方まで練習をして家に帰って晩飯を食ってまたバイトに行く、等という日も結構あった。こんな日は本当にキツかったが、若かったから体も平気だったのだろう。
関係ないがこれより前、福生の友達とバンドをやっていた頃は、当時住んでいた三軒茶屋と福生の間を、オンボロの原付バイクで雨が降ろうが雪が降ろうが、ロクな防寒服も着ずに、ソフトケースに入れたベースを担いで週2回通った。今から考えれば、夏はまだいいとしても、真冬の寒い時期や雨の日などはどうしていたのだろうか。自分自身や楽器が濡れてしまうとかいう事はあまり気にしていなかったのかもしれない。しかし、三茶−福生間はオンボロ原付なので、2時間近くかかる。よく風邪を引いたりしなかったものだ。同時に、週2回も片道2時間もの道のりを通っていたというのは、それだけヒマだったのだなとも思う。

話はそれたが、ガソリンスタンドのバイトをやりながらメトロの練習をやる、という日々がしばらく続いた。何しろメトロは出来たばかりのバンドなので、レパートリーを増やさなければならない。だから少なくとも、週に2〜3回は練習をやっていたと思う。お金も体力も良く続いたものだ。

メトロの初ライブは、'81年の3月だった。古い話である。しかし、割と本格的に活動を始めたのは、その年の10月に新宿の「ロフト」というライブハウスに出演してからである。この時は、まだメトロだけでは集客に不安があったので、シネマでベースをやっていた一色君のニューバンド「ナイジェル」を対バンに頼んで、お陰で大入り満員、とても盛り上がった。
メトロの活動も徐々に順調に、コンスタントになっていったちょうどこの頃、芋生君が車を買わないかと言ってきたのである。彼が自分で乗っていたライトエースである。走行距離も10万キロを超えて、ボロくなって来たので買い換えるという事らしい。最初はバンドと車を結びつけて考える事はしなかったので、車はあっても一向に構わないが、とりあえず自分の生活にとってなくてはならないもの、という訳でもないし、何かと維持費がかかるのでどうしようか、と思っていたのだが、ヨタロー氏にこの事を話したところ、「ウチの駐車場に置けばいい」と言ってくれたのだ。家からは近いとは言えないが、それ程遠いという訳でもないので、これはいい話だと思ったのである。そして私が仕事をしていたガソリンスタンドともそれ程遠くない。バンドの練習の後スタンドに仕事に行くのにも都合がいい。ヨタロー氏の家にはもちろん車があったが、家も駐車場も余裕があるので、もう一台止めるくらいは大丈夫だったのだ。
しかしその場合、いずれ、というか置いた瞬間に車がバンドの楽器車になってしまう事は、火を見るより明らかである。別にバンドの為に車を買う、という事ではないのだが、まあ、そうなっても構わない、とも思い、買うことにしたのである。そして私は、バンドのベーシスト兼運転手、という立場になったのだ。

楽器車の登場により、バンドの動きがよりスムーズになったのは言うまでもない。ライブにも練習にもいつでも車で行くのだが、唯一困った事は駐車場問題である。現在のようにあちこちにコインパーキングがあるという訳ではないので、いつも路上駐車である。いつもバンドの練習をしていた経堂の和田楽器のスタジオは、ビルの4階にあるにも拘らずエレベーターがないので、搬出入が大変だったが、2つあるスタジオのうち、道路に面しているほうが取れれば、窓があって見晴らしも良く、下のほうも見えるので駐めている車の様子を窺いながら練習をする事が出来た。
ただ実際は、パトカーを発見してからあわてて下に下りていっても間に合わない事が殆どだった。しかし、それ程年中免停にならずに済んだのは、運が良かったのだろう。ライブに行ってもいつも路駐だったのである。それでも検挙される事はあまりなかった。
この当時は、スタンドのバイト仲間の影響で車が割りと好きになっていたので、年中車の運転が出来ることにむしろ喜びを感じていたくらいである。学生のうちに免許を取っておいてつくづく良かったと思った。

仕事先のスタンドと、ヨタロー氏の家がそれ程離れていない事は、何かと都合が良かった。スタンドで社員価格で給油も出来るし、簡単なメンテナンスも出来る。スタンドは24時間営業とは言っても、真夜中や明け方にはお客もあまり来ないので、ボーっとして来客を待っているのは非常に退屈である。と言って寝てしまう訳にも行かないので、簡単な手入れや戦車などをしていれば車はキレイになるし退屈はしない、という正に一石二鳥である。

「元坊主なのに、なぜ今バンドをやっているのか?」という疑問に答える、という理由で書き始めたコラムも、いよいよ佳境に入ってきた。次回をお楽しみに。
2005/10/29 戻る