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■第20話:偶然から生まれた現在の私の原点・2
 東京ネットワークのライブで、シネマのベースの一色君の代役を一度やった時に、対バンにプラネット、そしてホットランディングという2つのバンドが居たという事は前回に書いた。ライブ自体は楽しく終わり、プラネットやホットランディングのメンバー達とも知り合いになったのだが、まあ、その時はそれで終わって、知り合いになったメンバーとも会う機会もなかなか無かったのだ。彼らはセミプロのミュージシャンで私はいちアマチュアバンドマンである。接点はなかなか無かった。

話は変わるが、その頃は実に沢山のコンサートを見に行っていた。有金の殆どをそれに注ぎ込んでいた、というとちょっと大げさだが、割とそれに近い状態だったと言えると思う。初めて観に行った外国人のライブは今は亡きロイブキャナンのライブだった。その頃は私は彼の事をよく知らなかったのだが、友人が、絶対に良いから観ておけと言うので行ったのだ。ジェフベックやジミーペイジが尊敬するブルースギタリスト、という事だったが、ライブはとても素晴らしいものだった。ただ、この事を人に話すと、「初めて観に行く外タレにしては、なかなかシブい選択ですねえ。」と大概言われる。他にもジャンルを問わず実に沢山のライブを観に行った。特に印象深いのは……と書き出すと、余りに話が横道にそれてしまうので、この辺の事は別の機会にしようと思う。沢山のライブは観たけれども、何故か日本人のアーティストは余り観に行かなかったが、シネマの関係しているライブは割りと良く観に行った。ムーンライダースのコンサートも、鈴木慶一氏がシネマのプロデュースをしているという事で観に行ったのである。思ったよりもハードなライブで面白かったが、会場の入り口のところで、ホットランディングのボーカルだった伊藤ヨダロー氏に偶然会ったのだ。これも、ヨタロー氏に会わなかったら、その後の私の人生が大きく変わっていたであろうと思われる重要な出来事だったと思う。

偶然会ったといっても、親しい友人、という訳でもないので(何しろ、この日会うのが2回目である)、私は、その後バンドはどうしているか、というような当たり障りのない事を聞いた。まあ、他に聞くような事もなかったのであるが、質問と同様に当たり障りの無い返答があるだろう、と思っていた私には、意外な答えが返って来たのである。あのバンド(ホットランディング)は既に解散していて、今は次のバンドを作ろうと準備をしているところである。そのバンドに参加しないか、というのだ。とりあえずはヨタロー氏と、ホットランディングのベーシストだったガンちゃんの2人だけらしいのだが、私も一応ベースだし、バンドに2人もベーシストはいらないだろう、と言うと、2人でベースとギターを半分ずつやれば良いだろう、ガンちゃんも少しはギターも奏けるし、君もベースが奏けるのなら、ちょっとはやれるだろう、という事で、ヨタロー氏の新しいバンドに参加する事になったのである。

当時、ヨタロー氏とガンちゃんは、神保町にあった「BON」という店でバイトをしていた。昼はお茶と軽い食事、夜は酒が飲める店である。最初の頃はバンドの練習も神保町にあるスタジオでやっていたので、練習の後はBONで飲む、という事が多くなったのだが、ここで実に様々な知り合いが出来たのだ。ヨタロー氏とガンちゃんはとても顔が広く、音楽関係の人は勿論、そうでない人達も沢山私に紹介してくれたのである。私のその後の人生が、この人達によって大きな影響を受けた事は言うまでもない。

この時出来た新バンドの名前は「メトロファルス」。ヨタロー氏とガンちゃん、そしてドラムは、私が福生でバンドをやっていた頃の知り合いの青木君に頼む事になり、最初にリハーサルをやったのだが、たしか1980年の秋頃である。結局私はその後'89年頃まで、約9年間メトロのメンバーであった。もし私がメトロに参加しなかったとしたら、現在の自分は無いと確実に言う事が出来ると思う。多分、音楽もやっていなかっただろう。という事で、ムーンライダースのコンサートの時に声をかけてくれて、またバンドに誘ってくれたヨタロー氏には深く感謝している。

さて、バンドの方は、青木君が音楽をやめて映画作りの方に進むという事で、ヨタロー氏の知り合いの知り合いである岩瀬君、通称チャバネ氏がドラマーとして参加する事になり、いよいよ本格的に活動を始めたのである。ガンちゃんと私がベースとギターを半分づつやろう、という計画は、私がギターをやる自信がなく、ガンちゃんがギターに専念する事になった。そしてヨタロー氏がボーカル兼キーボード。彼は家にフェンダーローズピアノを持っていたが、重くて持ち運びがしにくいのと、エレピ以外の音が出ないという理由でコルグのシンセを買った。
彼はなかなか裕福だったのである。

話は変わるが、当時私は、既に車の免許を持っていた。少し前に福生で友達とやっていたバンドは、皆免許を持っていて、現金を出し合って中古のバンを買ったりもして、そのバンに楽器を積んで高円寺のライブハウスにライブをやりに行った事もあるのだが、メトロの方は、何と私以外誰も免許を持っていなかったのである。まあ私自身はバイクや車が割と好きなので、まあいいか、という感じだったが、ライブをやる様になって来ると結構大変だったのだ。何しろ楽器は運ばなければならないが、車がない。どうすれば良いか。知り合いに借りるのである。
しかし当然、借りに行くのもライブハウスに運転していくのも、終わって車を返しに行くのも全部私の仕事である。バンドもちゃんとやってみるとなかなか大変だ。では次回。
2005/7/30 戻る