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■第17話:プロのミュージシャンとは…
 芋生君の住居である八王子の一軒家は、畑の真ん中であるが故に多少であれば楽器の音を出しても大丈夫、という事で、友人達が入れかわり立ちかわり出入りする溜り場のようになってしまった。最寄りの駅からでも結構遠いので、誰かが来るたびに迎えに行かなくてはならない。本人はさぞ迷惑だったと思うが、当時、端から見ている分には、それ程迷惑そうな顔はしていなかったが、実際本人がどう思っていたかは解らない。それはさておき、この一軒家のすぐ隣りに同じ形の家が建っていた事は、前回に書いたと思う。問題は、この家が空き家だったという事である。
芋生君の家は、電気楽器の音を出したり、時にはドラムを叩いたりするにも拘らず、防音などは何もしていないので、この隣りの家に一般人が入居でもしようものなら、途端に音が出せなくなってしまうj。誰か、知り合いを入居させなくては、と芋生君が希望者を探していたところ、武蔵大の同じクラブの友人である中原君という人が、そこに引っ越してくる事になった。彼はギターをやっていたので、家で音が出せるのならバッチリだという事である。彼には兄貴がいて、兄弟2人で住むという事なのだが、何とその兄貴もギターをやっていて、故郷である熊本から上京して、東京で本格的にバンド活動をやるのだという。中原君もギターは上手だったが、兄はプロを目指しているという事なので、きっと更に上手であるに違いない、色々な事を教えてもらう事も出来るだろう、と芋生君や私達は、うってつけの入居希望者が居た事を喜んだ。

バンド活動は、和光大ではあまりやらず、主に武蔵大の方でやっていた、という事は前にも書いたと思う。武蔵大の方が、練習の場所を確保するのが容易だったり、練習に付き合ってくれそうなメンバーが、より多くいたというのがその理由だが、和光大の方は、上級生にセミプロのようなバンドをやっている人が何人かいた。その人達のバンドのライブを見た事があるが、特に「紀の国屋バンド」はとても上手で、確かプロデビュー寸前まで行ったのだと後に聞いた事がある。他にも「ホールドアップ」や「スペースサーカス」も和光大の当時の学生がメンバーとして関係していたように記憶している。
1級上には女性でキーボードを奏いていた優ちゃんという友人がいた。彼女がやっていたバンドは、アマチュアではあるものの、とても上手でヤマハのコンテストでも入賞した事があるという事だった。このバンドはメンバーの殆んどが福生に住んでいて、活動の中心も福生であり、地元の「チキンシャック」というライブハウスによく出ているという。福生は芋生君が住んでいる所からそう遠くないので、一度見に行こうという事で芋生君たちと一緒に見に行ったのだが、行ってみると何とその日が解散ライブとの事である。なんだ、今日見に来ておいてよかった、と、解散は残念ではあるが、ややホッとしたのであった。
このバンドは「JIBO&DIAN」といって、JIBOという女性ボーカルを擁するバンドであり、この日は解散ライブという事で、やはり福生を中心に活動していたこれは正真正銘プロのバンドである「キングコングパラダイス」のボーカル南條君という人がゲストで入り、オリジナル曲やスティービーワンダーの曲などをやっていて、とてもいいライブであった。
ただ、福生は米軍の横田基地がすぐそばにあるので、米兵の客が多く、何を演奏していても「Rock'n Roll!!」と大声で叫ぶのには閉口した。お前らロックンロールしか知らんのか、とブツブツ言いながらもライブを楽しんだ私であった。
それはともかく、ライブが終わって飲んでいると、友人がキングコングパラダイスのギターの人を紹介してくれたのだ。やはりライブを見に来たのだと言う。誠に失礼乍ら名前は忘れてしまったが、何でも徳島県出身でフリージャズを志して東京に出て来たのだが、いつの間にかキングコングに参加することになったらしい。私はこのバンドのライブは見た事がなかったが、レコードは聴いた事があり、私でも名前を知っているような有名なバンドだったので、若干緊張しながら話をしているうちに年令の話になった。
当時私は23か24くらいだったかと思うが、その人に年令を聞いてみると30だと言う。全くのプロのミュージシャンにも拘らず、その時私が何を思ったかというと、「この人は30なのにまだロックバンドをやっているのか!」と思ったのだ。勿論この感想を口に出したりはしなかったが、今から考えれば失礼極まりない話である。しかし、当時の私には、30を過ぎてまだギターを奏いている、ましてロックバンドをやっているというのは常識では考えられない事だったのだ。自分が30を過ぎてもなおバンドをやっているという事は想像した事もなく、バンドというものは20代までのものであると思い込んでいたのである。
まあその頃はプロになろうなどとは露ほども思っていなかったし、仮に趣味でやるにしても、ロックはないだろう、と思っていたのだ。後に自分が30を過ぎてから、この時の事を思い出したことがある。あの時はそんな事を考えながら、現在の自分は相変わらずロックバンドをやっているではないか、としきりに反省したものだ。状況は現在も殆ど変わっていない。あの時から20年以上経過しているのに、である。全く何才まで続けていられるものだろうか、などと考える今日この頃である。
私がやっているベースという楽器は、基本的には一人ではどうにもならない楽器である。絶対にどうにもならないかというとそうでもないし、実際に一人でやっている人もいるにはいるが、やはり限界もあるし、ギターやピアノのような訳にはいかない。
という事で、一緒に演奏してくれたり、見に来てくれたりする人が居る限りは続けようと思っている。

さて、芋生君の家の隣りに中原兄弟が引っ越してきたのだが、この辺の事は次回に、と思う。
2004/12/25 戻る