Vagabond Suzuki Website
profile shcedule colmun link bbs contact menu

■第15話:初めてのベース購入、そしてキングクリムゾンとの出会い
 しばらくの間コラムの続きが書けず申し訳ありませんでした。ホームページのリニューアルなど、色々あった為ですが、とりあえず一段落しましたので、今まで通りまたコラムを書きたいと思いますので、また宜しく御愛顧の程を御願い致します。

私は、クリームというバンドの演奏を聴いてベースを始めた、という事は以前にも書いたと思う。話がややマニアックになって申し訳ないが、クリームのベースプレイヤーであるジャックブルースが、ギブソンの通称SGベースという楽器を使って極めて特徴のある音色を出していたので、私もそれに憧れて、SGベースのコピーモデル(本物はきっと高いだろうと思っていたし、多分実際にそうだっただろうと思う。それ以前に売っているのを見たことがなかった)を買おうと思っていたのだが、その事を、前途の私を音楽の世界に引っ張り込んだ友人である芋生君や牧田君に話したところ、彼らは強硬に反対した。音色があまりに特徴的なため、演奏できる音楽の範囲が狭くなるというのである。もっと解り易く言えば、クリームのコピーバンドをやるのなら良いが、それ以外の事が出来ないではないか、というのだ。
これ以前にも書いたと思うが、当時私の周囲に居るアマチュアバンドのベーシストに限らず、たまに目にするプロのバンドの連中も、ほとんどのベーシストがフェンダー、あるいはフェンダーのコピーモデルの楽器を使用していた。天の邪鬼の私は、ジャックブルースへの憧れももちろんあったが、それよりも皆が使っていない形のベースが欲しかった、という思いもあったのだ。
ではどうすれば良いかと芋生君に聞いたところ、楽器に詳しい彼は「同じギブソンのベースでリッパーというのがある。コピーモデルも出ているが、不人気機種だから本物を買ってもそれ程高くない。」という。そして「P.F.M」というイタリアのバンドのレコードを聞かせてくれた。ベースも中々良い音がしていたのだが、レコードのクレジットに「リッパーベース」と書いてある。こんないい音が出るのならリッパーがいいぞ、という事でこのベースを買おう、と決めたのだ。
前回で書いたように檀家参りのバイトで得た収入を手に、楽器屋に行ったところ、芋生君が言ったとおり新品であるにも拘らず、低下の半額程度の値段で売っていたので、早速買うことにしたのだ。

良い楽器は手に入れたものの、バンドの練習の方は相変わらずだった。クリームを聞いて以来、私はイギリスのロックバンドを中心に色々レコードを聞き、バンドでやってみたい曲もたくさんあったのだが、ギターが難しいとか、ボーカルを出来る奴が居ないとかの理由で中々バンドの練習ではやりたい曲が出来ない状態が続いていた。確かに、レッドツェッペリンの曲を歌なしでやっても面白くない。しかし良い楽器を入手した以上、家でレコードをかけてコピーしたベースのフレーズを一緒に奏いているだけでは楽器が勿体ないし欲求不満にもなる。早くちゃんとバンドの練習がしたいな、と思い始めた頃、私はキングクリムゾンというバンドのレコードを聞いた。イギリスのプログレッシブロックのバンドである。
結論から言うと、私はこのバンドから非常に大きな影響を受けた。最初に聞いたのはデビュー盤であるが、勿論リアルタイムではない。実を言うと、最初は良く分からなかったのだ。あまりに個性的なそのサウンドに、戸惑いすら覚えてちょっとついて行けない、というのが正直な感想である。でも、思い直して聴き返しているうちに、段々とハマって来た、という感じだった。曲が中々難しいのでコピーするのにはとても苦労したが、段々と出来るようになって来ると、バンドでやりたくて仕方が無くなって来たのである。
ところが、芋生君や牧田君にこの事を話したところ、「クリムゾンは難しいから無理だ」と言われた。ギターもどうやっているのかよくわからない、と言うのである。確かに非常にややこしそうなユニゾンのフレーズなどもいっぱい出て来る。そこで私は、レコードを100万回程聴いてギターもコピーしたのだ。勿論ギタリストではないのでギターは奏けないが、少なくともどういうフレーズを奏いているかは大体分かったのでそれを彼らに伝えたのである。そして学祭で演奏するところまで漕ぎつけたのだ。
それ以来、私は本当にキングクリムゾンに夢中になったのだった。他にも好きなバンドは沢山あったが、これほどのめり込んだのはクリムゾンが最初である。そしてその影響は現在も続いている程なのだ。クリムゾンを聴いて最初の2年間程は、極端に言うとクリムゾン以外は音楽ではない、とさえ思ったりもした程であった。当然他のレコードも沢山聴いたが、全てクリムゾンと比べてどう、という聴き方になってしまった。

私がベースを奏き始めたのは、’77年頃だったが、その頃世の中ではディスコが大ブームだったが、私はこのディスコというやつが大嫌いだったのだ。今から思えばディスコブームも盛り上がりを過ぎた頃だったのだろう、色モノのようなバンドが沢山あったのだ。楽曲のクオリティは下がり、テンポ120〜130位でバスドラが4分音符で鳴っていればあとは何でもカンケイなし、というようなものが多かったように思う。
音楽は真面目に鑑賞するものである。聴きながら踊りをオドるとは何事だ、と真剣に考えていたのだ。今から考えると何とモノを知らないと言うか、音楽を知らないと言うか、偏狭な考えを持っていたものだと思う。その上おかしな事にディスコ=黒人音楽、という風に思い込んでしまって、黒人音楽そのものを遠ざける傾向になっていったのだ。黒人音楽と言っても実に様々なものがあるが、単に(黒人音楽と言っても)色々なものがある、という事を知らなかった、という理由もあるかも知れない。

私はクリムゾンを聴いて以来、いわゆるプログレにのめり込んでいったのである。しかしその傾向もその後変わっていくのだが、そこらへんは次回に。
2004/10/25 戻る