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■第13話:ウッドベース入手までの経緯と日本画のこと
 和光大の方では「OTO」というクラブに入ったが、部室というものがなかった。他にもいくつかある音楽系のクラブと交代で、楽器が置いてある倉庫の一部で練習をするのである。とはいえ、和光大ではそれほど真面目にバンドをやっていた訳ではないので、練習も余りやらなかった。しかし武蔵大のクラブには部室があった。敷地無いの一番端にあるプレハブ長屋の一室である。大学のクラブの部室というものは何処でもそうだと思うが。この武蔵大の「ムーミン(ムードミュージックの略)」というクラブの部室も、まるでゴミ捨て場の様に汚かった。でも和光大のクラブの様に練習の度にアンプやドラムセットをセッティングする必要が無いので、これは有り難かった。この部室の奥には、これもゴミ捨て場なのか倉庫なのか分からない様な物置があって、壊れたドラムやら、使い物にならなくなったアンプやらが、本物のゴミと共に置いてあったのだが、ある日私はそこで一大発見をしたのだ。ボロボロのウッドベースがあったのである。もっとも、これは本当は大発見でも何でも無く(当然である)、皆そこにボロいウッドベースが置いてあるのを知ってはいたが、特に関心を示さなかったか、余りにキタナイ為に(恐らく十数年以上誰も触った事が無かったのだろう、まるで火山灰の様な土埃が1cmは積もっていた)誰も触りたがらなかったか、多分この両方が真相であろうと思われる。当時、クロスオーバー(懐かしい言葉である)や、大雑把な言い方だが普通のロックをやろうとする人が多かったので、ウッドベースに関心を払う人が居なかったのは当然かもしれない。「誰も使わないのなら、僕に譲ってくれ」という事で、私が引き取る事になった。(余談だが、この時、ボロいとはいえクラブの所有物であるウッドベースを、しょっちゅう出入りしているとはいえ基本的には部外者である私が引き取るに当たり、お金を幾ら払ったのか、あるいは払わなかったのかという問題がある。私の記憶では、誰かに1万円を払ったような気がするのだが、いつ何処で誰に払ったのかと言う事について全く憶えていない。とにかく公式には1万円払ったという事にしておこう。)クラブの名前がムードミュージックだから、昔はウッドベースを使うような音楽をやっていた学生もいたのだろう、と私は考えた。とにかく、引き取ったので家に持って帰る訳だが、これだけデカいとどうやって持って帰るのかが問題だ。そうだ、ケースは無いだろうかと、再びゴミの山、ではなく物置を捜索したところ、幸いな事に布製のソフトケースが見つかり、更にラッキーなことにケースの弓入れの中に弓まで入っていたという幸運ぶりである。ただこのケースは本体に輪をかけて汚かったので、家に持って帰った時に、そのままの状態で家の中に持ちこむ事を禁止されてしまった。いずれにしろ、私はウッドベースを手にする事が出来、クラブは1万円儲かった。目出度し、目出度しというところであったが、ソフトケースの背面にマジックで何か書いてあるのに気付いて良く見てみると、「武蔵大学ギターアンサンブル」と書いてあった。
今、ふと思ったのだが、ここまで書いたものを読む限り、読んでくれている人達が、私がまるでバンドをやる為に高野山をやめたのだという印象を持つのではないか、という気がちょっとするので、少しだけ音楽に直接関係ないことも書かせて頂こうと思う。以前にも書いたが、私は中学生の頃、趣味で仏像を彫ったり、水墨画を書いたり(と言っても、当然極めて稚拙なものでしかないが)していた。そして曲りなりにも芸術学科というところに入ったので、ここはひとつ日本画を書いてみよう、と入学した時に思ったのだ。日本画の基礎を学び、その上で改めて水墨画を描いてみたら面白いだろう、と考えたのだ。ただ、大学を卒業した後、どの様な職業に就くかというような事は、まるで考えていなかった。当時、和光大の人文学部芸術学科の卒業生の就職率は30%という専らのウワサだった。卒業しても普通に就職する奴は10人のうち3人しか居ないというのである。この数字が本当だったかどうかは知らないが、芸術学科の学生全体に、あるのんびりしたムードが漂っていることは確かだった。私も、卒業しても残りの7人のうちのひとりになるのだろうという予感は何となくあった。まぁ将来のことはともかく、日本画がやりたくて早速日本画のゼミを訪問したのだが、見てみると予想に反して皆西洋の抽象画のような絵ばかりを描いている。そういう絵は、私は見るのは好きだが描きたいものとは違う。私は和紙に、墨や絵の具が滲んでいるような絵が描きたいのだ。おまけに、聞いてみると日本画の絵の具というものは、人差し指の先ぐらいの大きさの瓶に入っているやつで5000円もするというのである。これでは貧乏人にはとてもじゃないが無理である。実技のゼミはあっさり諦めて、理論をやることにした。選んだゼミは日本絵画史。このゼミはなかなか面白かった。マンダラや仏画に関しては、自分はある意味専門家とも言えるし、また桃山時代の障壁画等も好きだったので、都合も良かったのである。因みに、和光大学は、普通の大学と違って、1年生からゼミに入ることが出来た。ただゼミの学生の中で仏画やマンダラをやろうとするような奴は他に1人も居なかった。しかし、大学に入学した事自体、自分の将来と直接結びつけるような考えは無かったし、極端に言えば趣味のようなものだったので、自分が楽しければ良かったのである。なんとも無責任な感じがしないでもないが、私自身はノンビリしたものだった。
2004/04/11 戻る